当時は寮内でゴロゴロしてましたが、緊急地震速報で飛び起き、窓と扉等開けて、ガスの元栓閉めてましたね。
長い横揺れ、ウェザーニュースで確認した時
「どうせ茨k…石川県!?」
って思いました。
石川県といえば、工場界隈だと小松建機の工場が有名ですが、N栃木落ちたら富山の小松氷見工場に行こうと思ってた私。
直下の被害ですね。
あの辺りだと粟津、金沢、氷見工場があり、氷見工場は鋳造工場としても有名です。
粟津は中・小型のショベルやホイルローダー等、金沢は大型油圧ショベルなんかを製造してますが、工場の被害はデカイと予想されます。
最近だとたまに広告で見てたCKDの工場も今年の春から石川県小松市に設立予定だったような…。
東日本大震災時にも、私のいるN栃木工場は設備が倒れたり、起動しても異常が起こるなど大変だったようで、工場って話になると北陸・信越辺りには数多の工場があるわけですが…。
工場に括った話をしてましたが、東日本の時の話をば。
当時高卒で働いてた会社にいましたが、震災の一週間後には会社のトラック借りて救援物資なるたけ詰め込んで現地に向かっていました。
若気の至りというか、同期と貯金とか全ブッパで物資類買い込んで、2トントラック過積載して3人で乗り込んで行きましたw
市場で働いていた関連で、卸売業者も周りに多かったので食料系は保存のきくものをメインに、ソーラー充電機や地域の小中学校で作られた手回しラジオ、生理用品、おむつ、サプリ・栄養剤等ぶち込んでました。
地割れした道、土砂崩れ、ナビのルートでは到底辿り着けない目的地。
それまで通れた道も、通れなくなる事も道中多々あり、先方輸送隊の方、自衛隊、警察、消防、消防団、全国からボランティアで来ていたバイク隊の皆さんと協力して、地図広げて睨めっこしてたのが懐かしい。
友人や私の取引先の方々が住んでいたことが大きいですが、道中や帰りの便で過剰分の食料品や車で通れない所の途中まで物資運んでバイク隊の方と連携してピストンしてましたね。
当時はガラケーが普及していましたが、ラジオ持ちは少なく、ライフラインの殆どが断たれている状態。みんな懐かしのワンセグでニュースとか見てましたよねぇ。
私が積んで行った物資に水は一切積んでません、阪神淡路の時もそうですが、全国から溢れ余る程水が送られてくるからです。
実際、水と千羽鶴は要らねぇよってのが現地の人の感想でした。
水より、ソーラー充電機、ラジオ、生理用品、おむつ、高カロリー栄養剤の方が喜ばれた印象です。
千羽鶴ってなんのために送るんですかね?
嵩張るし、捨てるわけにもいかず、何の役にも立たない、祈りで腹は膨れんのですよ。
津波もイメージついてない人いると思いますが、野球に例えると横浜スタジアムのフェンスが大体5mくらいなんで、それがWBC優勝時大谷翔平に追いつくんじゃね?と思わせる走塁でお馴染みの周東以上の速さで迫ってくると思って貰えれば、ちな電柱の高さが大体6mです。
津波は波単体ではなく、水の塊というか海が押し寄せて来ます。中に石、木、ガラスなど入り込んだ殺傷能力の高いもんです。
今でも連絡を取る方もいます、中には亡くなった方も居ますが、旅行で近く行った際に家泊めてくれたり、一緒に酒飲んだり。
若気の至りで行ったあの経験は良いものであり、出来るなら2度としたく無いもんです。
今は非正規雇用の身、募金程度しか出来ませんが、これ以上被害が広がらないことを祈る。